北欧の旅(6)~デンマークday two~アンデルセンの童話が生まれた街~運河沿いの夕暮れと街灯り




day two7/31  @Nyhavnニューハウン散策


コペンハーゲン中央駅(セントラルステーション)裏口に広がるホテル街

お昼間のヴィンテージ・レトロ雑貨のお店周りの散策から戻り、夕方過ぎ、ようやく、コトリさんと再会する。

二日目にして、今宵最後のデンマークの夜となる為、もう一つ足を伸ばして訪れたい処、ニューハウンへ向かった。

ここからてくてく、運河沿い散策しながら、ニューハウンへと向かう。

6:30PM 桟橋と水辺に集まる人達

昼間、30度近くある夏日だったから、夕方になってもまだ運河沿いは人々が涼んでいる
よく見ると、対岸にも大勢の人達が涼みに来ている。泳いでいる人もいる:)

石畳みの舗道続く 古い街並みの中に 突然モダンなビルディングのDansk Design Center(デンマーク・デザインセンター)

CPH(コペンハーゲン)空港の建築美で触れたがデンマークを代表する’機能建築主義建設’において「光の巨匠」と称されている現代建築家ヘニング・ラーセンのデザインしたガラス張りの建物。デンマークデザインの’モダン’がここに詰まっている。ここも友人からお勧めいただいて、是非行きたかったのだけれど、すでに閉館時間で成らず。無念。
桟橋を眺めながら歩く 自転車 カラフルなボート 夏を楽しむ人達の姿があった

運河の波を漕ぐ ボートの人達
向こう側に見えるのは王立図書館 ’Black Diamond’(実に意表をつかれたネーミング:)

運河沿いに続く風景 角を曲がったら、景色も違えど、水面も、急にゆったりとなっていくから不思議だ

運河沿いの風景


この運河に囲まれるようにクリスチャンスボー城が現れた。

デンマーク国際議事堂や、デンマーク首相のオフィス、最高裁判所が入っているのだそうだ。奥に聳え立つ塔は106mあって、コペンハーゲンで一番高い塔なのだそう。この塔は入場無料で、44mの展望台からコペンハーゲンの古い街並みを一望する事ができる。(見たかったなぁ)今回は時間なく、巣通り。

この辺りは、他にも国立博物館やトーヴァルセン美術館などの見所があり、ゆっくり時間あれば立ち寄りたかった。デイリー・コペンハーゲン・カード(電車バス乗り放題のトラベルカード+有料観光スポットの無料入場)があればこれらの有料名所も気軽に立ち寄る事ができる。

さて、目的地のNyhavn =’新しい港’を意味するニューハウン

童話作家のアンデルセンは若い時に田舎からコペンハーゲンに出て来て、市内を幾度か引っ越ししながら、この小さな運河に面した通りニューハウンに落ち着いたこの区域を特に愛し、彼が病気で引き取られる晩年、70年間の生涯において、3度この通りに住まいを決め、この運河沿いのアパートで暮らし、書き物をしたそうだ。

真っ赤な建物に白い窓枠の20番地の2階、1834年(29歳)から4年間住んだという処。(この頃に、’エンドウ豆の上に寝たお姫様’’親指姫’’人魚姫’’裸の王様’を含む「子供のための童話集」が発表された。)*画像の赤いお家は65番地で別。

それから、彼が童話作家として世に知られるようになった1848年8月30日(43歳)から晩年まで住んでいたという67番地(67 Nyhavn)(’みにくいアヒルの子’’雪の女王’’赤い靴’’マッチ売りの少女’を含む「新童話集」’パンを踏んだ娘’’泥の王の娘’など「童話と物語の新集」などが執筆され発表された。)現在はアンデルセン・カフェとなっている。

彼が最初に住んだ20番地と外装のよく似ている赤い建物の18番地は、1873年9月〜1875年6月アンデルセン晩年の最後の下宿先となったのだそうだ。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、1805年(世界史ではナポレオンが皇帝になった年、日本だと江戸末期、文化2年の頃)4月2日、デンマークの中央部にあるフュン島の慎ましやかな家庭に生まれたという事だ。

11歳の時、靴職人の父親が亡くなり、学校を中退して働くものの、15歳でオペラ歌手になる決意をして、コペンハーゲンに移り住んだ。それから23歳までは歌やバレエ、演劇の勉強、創作に猛烈に勤しんだらしいが、どれも認められず、また、困窮を極めた時代だったとある。その後、大学へ進学し、文献学と哲学を専攻、一年後には自己の体験をもとにした’旅行記’を出版して書評を得、それから、1833年(28歳)の頃に1年4ヶ月の欧州旅行をし、その後に書いた小説が出世作となった。また、当時から書きためていた童話の方は、小説に比べては、むしろ不評であったのが、後に彼の代表作品となるのだから、人生とは如何なる事があっても諦めないで希望を持って生きたいものだと思ったのだ。


また、彼は偉大なる創作作家だったが、極度の心配性でもあったという記録も残されていて、外出の際、何かあった時、窓から逃げ出せるようにとロープを持参していた事、また、睡眠中に死んでいると勘違いされて埋葬されたという男の噂話を聞いて以来、寝る時には、枕元に「死んでいません」と書き置きを残して寝ていた事、などが記されていた。

こうして、アンデルセンという人の事を知ると、急に親しみが沸き、想像力の賜物でもある不安や心配に子供のような心であった方に、大丈夫ですよ、と、伝えたいような気持ちとなった。

*親指姫に登場する’ツバメ’についての象徴的な思い出は、スウェーデンの港町’シヴィック’を訪れた時の記録に残しておきたい。


黄昏色に染まるニューハウン 

レストランやカフェが並ぶ通りは、遅くまで人で賑わっている

運河沿いには、人魚姫の像のスポットや、運河ツアーもあるそうだけれど、すっかり時間も遅くなり、また、人混みを避けたくて、ただ散策をするとした

スェーデンから出て来てくれたコトリさん。  I love you ♡ xoxox 


中央駅迄への帰り道は、ストロイエ(Strøget)を通った。(ロイヤル・コペンハーゲンなど老舗高級店が集まるショッピングストリート)ちょっとロンドンのコベントガーデンを思い起こしたのだが、もっとこじんまりとしているが、世界初の歩行者天国なのだそうだ。

運河沿いに歩いた行きは40分近くかかったけれど、ストロイエを突っ切って行ったら、もっと早く着いた:)バスだと15分程の距離の散策であった。凄い歩いたなぁ〜。ロンドンのいつもの暮らしの何十倍も歩いた。楽しくて仕方なかったのだが、ママは疲れた。爆。

宿泊先近くに戻り、夕餉のギャザリングへと向かう(day oneで訪れたラウンドアバウトのカフェへ)

中央駅周りは、徒歩距離で、新旧取り混ぜた建築とデンマークらしい夜景が広がっている。

アンデルセンが作品の構想を練ったと言われている、レトロ感たっぷりのチボリ公園(遊園地)

中央駅〜チボリ公園近辺のモダンな夜景、夕餉の記録へと続く