お料理には、その人の心の様子が現れるという。
この数日は、長年待ちわびていた坂本龍一さんのロンドン公演〜教授のキュレートしたイベント続きであり、これを充分堪能できるように、この期間は殆どの仕事もブロックしてあったのが、想定外の、良い事とそうでないことが繰り返し、共に同じ比重で併発しておきたものだから、正直、とても大変な日々となった。それは、最高に素晴らしい瞬間と、最悪に辛い状態が入れ替わりたちかわり、やってきて、しまいには、それが同時に起きて、嬉しくて、悲しくて、同時に泣いている、という具合の事が起きていて、食事もあまり喉を通らなかった。きっと、アドレナリンが出っ放しだったに違いない。それでも、食べることはグラウンディングになるから、と、なんとか、一日一食、、こうしてお皿に向き合ったのだが、それは見事に’散らばって’いて、がんばったんだけど、やっぱり、心の状態が、ででしまうものだ。
6/24 ハムとコジェットのカルボナーラ
ごはんを炊く時間なく、茹でるだけパスタ、混ぜるだけ、のワンプレート料理ですませる。美味しかったのだけれど、胃に入っていく感じがしない。座っているのに、立って食べているような気持ち、心、ここにあらず、だからか。
友人と待ち合わせ、教授御本人が出演するロンドン最後のイベントへと向かう。
この日、のち、奇跡、起きる。
*以降、遡り記録。
6/23 完全に食べ忘れる
その後、バービカンで行われた細野晴臣さんのコンサートにて、プライベートでロンドン入りされていた高橋幸宏さんと、コーネリアスの小山田圭吾さん、そして、同日同時間、別の場所で映画CODAの上映会にいたはずの教授が、滑り込みで現れ、ステージ上で、YMOのリユニオンが実現した夜。倒れそうになった。同時に、音楽の力を体感した。この3人が揃うと凄いパワーだった。心が躍動するって、こんな凄い浄化の力があるんだと驚いた。
その瞬間の映像は高橋幸宏さんのFB上に残されています。
細野晴臣さんの正式な動画のアップリンク
6/20 シーフードのクリームソースのごはん
7年待ったコンサートの日。完全に心ここにあらず。(努力はした)
サクッと書きものの仕事をすませて、余裕を持って、いくつもり、が、マック、ダウンし、修復作業に追われる。
その為、ギリギリに出発、が、進行方向の信号の故障で、電車動かず、駅でスタック、乗り換えて、バスに飛び乗るが、ラッシュアワーにて停滞、ようやく頼んだミニキャブがきた時は、すでに開演時間をまわっており、そして、事もあろうに、このタクシーは’sharing'専用であったことが発覚。(同じ進行方向に向かう人が、ポイントごとで相乗りしていくというシステムのもの=そういうものがあることさえ知らなかった)
そうして、75分遅れて会場に到着。(完全に心が折れてました)
むしろ、そんな劇的に遅れながらも、中に入れたことも奇跡的。最後の演奏を15分、1秒たりとも見逃さず、永劫に刻みつけたい感覚で、深く聴き入る。涙。
とてもショックだったが、その15分の感動も言葉に尽くせないものだった。
しっかりと魂に刻み込んだ。
set the record back
6/21 翌朝、目が覚めても、ショック状態からまだ戻れていなかったけれど、インスタに記録として上げておいた写真に、教授とアルバ・ノト御本人が共にlikeを置いてくださっているのに気がつき、感動で朝から泣いた。そして、お皿と向かい合う気持ちがちょっと戻った。こういう事が、どれくらい人を感激させるか、ご存知だろうか。まるで、神様に目をかけてもらったような気分だ。神様と教授に心から感謝した。
夕方より、UKロック写真家のハービー山口さんと34年ぶりの再会があり、そこでも、私はご縁に感謝し、その時間に癒され、翌日のイベントへと、前向きな心の支度となった。
6/22 夜、CODA上映会 とても楽しみにしていた。会場で、旧友と10何年振りかに会うことになった。教授のトークも楽しみでならない。そうして、心が少し戻ってきたおさら
6/23 細野晴臣さんのコンサート、YMOリユニオンが目の前で現実に起きた夜
(前から2列目の中央席だった)
6/24 坂本龍一さんとDavid Toopのライブ
奇跡が起きた日
御本人にお会いすることができ、サインと握手をしてもらい、写真まで撮って頂いた。
偉大なる坂本龍一さんは、想像した通り、いや、もっと、偉大な方であった。
BBCのインタビューで、教授がダライ・ラマに会われた時のことを語ってらしたけれど、同じくらい素晴らしい人だと感じた。感涙。
ごはん記録に混ぜて書くのは、どうかと思ったが、とりあえず、小さく、ここに書き残し、その時がきたら真面目に残している音のブログの方に、尊敬の念を込めて、熱い想いを書き残したいと思います。
そして、この奇跡の起きた翌日、去る6月15日に我が家の階下で他界されたお爺ちゃんのお葬式となった。それで、本当にこの一連の信じられないような出来事の重なった時間の最終章が静かに幕を閉じたように感じたのです。奇跡、を通して、何かが変わった、一つの命がなくなって、私たちは、大切なことを教わった。お爺ちゃん、そして、教授からも受け取った’種’を大切に、育んでいきたいと誓った日。