birthday treat
<一年に一回、やってくる’お誕生日’の日>
いつもは、行ってみたかったレストランへ食事に行くとか、映画、またはライブに行く、というような、小さなお祝いを前もって、自分で用意しておくのですが、ロックダウンからも、ようやくフリーになって、日常が戻りつつあるロンドン、その’日常’がありがたいから、特にあれこれ用意せず、ただひとつ、大好きな映画を1日の終わりに観に行くことにして、迎えた誕生日。
少し前に、スウェーデンから訪ねてくれたコトリさん夫婦(娘夫妻)が、お誕生日の前祝いを兼ねて、美味しい合鴨の生ハム(私がワイン好きなのをご存知で)と、スウェーデンの伝統的なハーブティーを持ってきてくれました。で、誕生日の終わりに、その日あった良き事を思い浮かべながら、ワインを開けて、バースデートリートのおつまみセットで、ほっこりとした。😊
合鴨の生ハム
チェダーチーズのバジルペースト乗せ
ザワークラウト
コトリさんのパートナー、私の義理の息子にあたるセブさんが選んでくれたフランス産の合鴨の生ハム。
鴨の生産地として伝統のある南西部フランスの鴨肉を専門に扱うメーカーで、飼育の段階から伝統を守って作られているのだそう。ご家族皆さん大好きだということで、持ってきてくれました。美味しくて、あっという間に食べてしまう!
<ありがとを想う>
その昔、私には闇の時代というのがあって、w、何かを’祝う’という習慣が全くない頃がありました。
元々はとても明るくて調子のいい、朗らかなこどもだったのだけれど、家庭環境の変化や、いろいろと厳しい時代があって、周りの大人やこどもたちとうまくいかなくなり、おおよそ、人が信じられなくなった。
心も体も病んで、いじめにもあうようになって、日々は、言葉の暴力、実際の暴力にまみれていて、実際に、心も体も切り傷と痣だらけで、生きていることはとても苦しく、逃げることで必死に生きていた、そういう時代。人間は怖い生き物だった。いつも、ビクビクと怯えて、見つからないよう、息を潜めて生きていた。
だから、自分が闇すぎて、とても、祝えなかったのです。
自分の誕生日には必ず悪いことが起きると思い込んでいた位、ちっとも嬉しくなかった。おめでとうと言われても、言葉は滑りおちるように自分を抜けて、心に届く事はなく、そんな状態であったから、新年も季節の行事も他の人の誕生日も、祝うことのできない、そういうこども時代。
今の私を知っている人には、そんな時代があっただなんて、およそ想像がつかないだろうけど、そんな暗闇がいつの間にか明けたのは、そんな暗いこどもであった私を見捨てず、あきらめず、根気よく、愛を示してくれた人達が存在していたおかげだと思うし、そうして、長い長い人生の旅を経て、今はこうして、ささやかながらも、小さな幸福を紡いでいける人になり、それを、繋いでいく家族もあって、今の私はそのおかげでこうして生きているのだと感謝しないではいられない。
よく、辛いことがあったあとや、それを乗り越えることができた後、何か素晴らしい出来事が起きたとき、過去の自分にエールを送る事があります。遡って、絶望的になっている自分のところへ、大丈夫、今は見えないかもしれないけれど、必ずよかったと思える未来が待っているから、そこで頑張ってくれてる、おかげで今の自分が、幸福があるから、と。
だから、こうして、これを書きながら、その未来の自分にも感謝。なぜなら、私はいつもその未来の自分の存在も支えになっていることを深く感じているから。
<誰かのために、というと、共依存だ、と捉える人もいるけど、それが結局は自分のために、なってるんなら、人生をよくするための、心の拠り所、なんじゃないかなと思う。そういうのって、大切じゃないか。>
それにしても、自分の誕生日を、たとえ、一人でも祝うようになったのは、コトリさんのおかげだなあとつくづく思う。
人にお誕生日おめでとう、ができるようになってからも、自分の誕生日を祝うという事が習慣になかったから、別にプレゼントも欲しくないし、お花もケーキも欲しくなくて、だから何もいらない。痩せ我慢じゃなくて、そこはどうでもいいとずっと思ってた。子供にはお誕生日おめでとう!とケーキを焼いて、キャンドルを灯して、プレゼントを用意して、嬉しそうな顔が見たくて、心からお祝いするのに、じゃ、ママは何が欲しい?と聞かれても、浮かばないし、何もいらない、と答えているうち、コトリさんが、私も何もいらない、というようになってきた。そこで、私は、はじめて目が覚めたというか、私の生き方そのものを子供って引き継いでいくのだなあって、子供が親のことを好きであればある程、きっと。
それから、私は、コトリさんがこれからもずっと自分のお誕生日を心から楽しめる人になってもらいたくて、だから、自分がそうなろう、と、そう決意した。誕生日はこうやってお祝いして、慈しむ、特別ないい日なのだと、そういう事をコトリさんの目にみえるようにやっていこうと思った。
自分の為にはできないのに、大切な誰かの為ならできる?それでは自分軸ではないから、依存だという人もいる。誰かの為に何かすることで自己価値を埋めているのなら、その誰かがいないと幸せは成りたたないから、ゆえに自分以外の他の存在に頼って生きているという事だから。でも、それは、依存ではなく、心の拠り所、ではないか。人は皆、心の拠り所のようなものをいくつか持っていて、それがないと生きられない、幸せになれない、のではなく、その存在のおかげでがんばれて、元気が出て、ほっとするのだ。愛の充電所みたいなものに違いない。この人に自分が何かしてあげないといけない、のではなく、この人が笑顔になってくれたら嬉しい、だったら、何をしたいか、そして結局は自分のためにやっている。
時々、私は、そのやり方を間違って失敗することもあるけれど、私にとって、心の拠り所、という存在は、かけがえのない大切なものに違いない。
30歳の誕生日に、当時のパートナーが大きな人生の節目だから、と、前代未聞のHoxtonにあったおしゃれなバーを貸し切って何十人という友人達を招待して祝ってくれた事があったが、あれは人生に一度だけのような出来事で、いまだに、たくさんの人と集まってお祝いというのは苦手だから、特にそういう集まりはしないけれど、毎年、小さくでもお祝いは必ずするようになった。ひとりの事も多いけれど、私は自分に最大の優しさを提示して、そんな風に毎年、誕生日を迎えている。本当に自分に優しくなったものだと思う。
コトリさんからもらった、スウェーデン・ストックホルムのストックホルムの北欧紅茶の老舗'Tea Center of Stockholm'社の 'Soderblandning’セーデルブレンド。
この、ブレンドを手掛けたのは、スウェーデン王室専用ブレンダーであった、’King of the Tea'の称号を持つバーノン・モーリス氏で、このセーデルブレンドは王室から各国の王室や皇室へ贈られたオートクチュールティーなのだそう。
セイロン茶をベースに、オレンジ皮、マリーゴールド、青コーンフラワー、ローズペダル、ひまわりの花びらなど、フルーティーでフラワリー。なんでも、ノーベル賞授賞式後の晩餐会でも、この紅茶が共されるのだとか。甘くて優しい香り。暖かくしても、冷たくしてもいいらしい。
誕生日の前の晩、買い出しに行ったら、チューリップの花束がセールになっていて、思わず、ギフトだ!と買い求め。😊翌朝、咲き誇りました。
当日、急にお仕事が入りありがたく出勤。会いたかった同僚にも再会して、大好きな社員食堂で一緒にごはん。
今日が誕生日だとは、誰にも言っていなかったけど、心の中で、これもお祝い膳のひとつと感謝。🙏
デザートのケーキまで、ありがたく頂きました🙏
ダークベリーのたっぷり入ったフォレストガトーショコラ。
これは、確実にバースデーケーキ😊 (心の中で歌った。爆)
これもある意味自分へのトリートだった、誕生日数日前に買った、映画鑑賞にプラリと行く時ようのストールとキャリーバッグ。
ひっかけて、お気に入りの映画館へ。
1917年から1946年までの日本の初アニメーションのイギリス初の上映会!
無声映画に関しては、アップライトのピアノの生演奏が目の前で行われました。日本人であることが誇らしくなるような、素敵な内容の上映会でした。行けてよかった!😌
今年も無事、お誕生日を過ごせたことを、佳きことに恵まれた1日だった事を、感謝の気持ちと、いろんな事が感慨深くて、帰宅の路へ向かいました。
気がつけば、ロンドンの街のネオンは、どこもかしこも、ウクライナの国旗のカラーで彩られていて、平和を祈り続けています。早く、世界の平和が戻りますように。
ありがとの日。
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