何故ゆえに「奇跡」かというと、私自身の人生が奇跡に満ち溢れてきたからで、その「奇跡」がなかったら、私は既にここに存在さえしていない、と真剣にそう思っているからだ。何なら自分は奇跡でできている、といっても過言ではない。
昨日、誰かさんの’さんま通信’により、和食熱高まり、予行演習までしていた’ステーキのマサラワイン焼き’を棚上げして、スーパーのタイムセールのsushi 誘惑に便乗した
日常は、それなりに身の丈に合った慎ましやかな生活に準ずるべく、単品で£5以上のお買い物はしない(ワインは別)
できれば£3以下が望ましい。というと単品£1〜2位の食材の組み合わせで、我が家の献立は賄っている。(一人暮らしの場合)
そんな訳で、できあいのおsushiを買うなどという贅沢の許される状況ではないのだが、汗、自分で自分にgoを出した。‘Rainbow sushi rolls ‘ £8→ £5.60 😅
せめて、お吸いものつけて、なんなら飾り直して(正直、手抜きな仕上げのおsushiだった w) 特別仕様にする。
そういえば、前にサバ寿し作った時に、焼き海苔で挟む、という朋友の気が利いた小技を思い出し、海苔、おぼろ昆布で巻いてみたりして、又は、巻きのあまい隙間にクレスを詰めてみたりして、出番前のお化粧直しのようなことをして、もう少し立派に見えるよう、器に並べて、自家製のガリ、添えて、手を合わせて頂いた。
食べおわる頃、突然の連絡があった。
それから一気にやりかけの事と片付けものすまして、街へと飛んでいった。
道中、考えていたのだ。
もし、最初の予定通り、ステーキを作っていたら、まだ作ってる最中で、恐らく間に合わなかった。
なんだ、その為に用意されたおsushi だったのか!っていうくらいのシナリオで、1時間後、私は馴染みある会場のバーカウンターで、私にとっての特等席を、ソーシャルディスタンスで陣取って、感動に浸っていた。
その数分前に木曜からの一ヶ月ロックダウン決定ニュースで、この「ようやく戻ってきた街と現場の活気」への期待とワクワクが一気に又閉じられたような、混沌とした気持ちだったが、その夜の出来事は私の魂をしあわせモードへとスイングさせて、嫌な事も何もかも、ただ目の前の事、自分を包んでいるその至福の時間にダイブインした、そんな奇跡の夜だった。
そもそも、奇跡の予兆はこのおsushi から始まっていたのだ。だって、この記録に収まっているおsushiはまるでご褒美のようだ。
いや、そもそも、さんま通信が引き金だった、としたら、あれも又奇跡?!
まさか、さんま通信が奇跡を起こした、と言ったら、君は笑うだろうか。
未来への点は無数にあり、私たちは、その点を自分で選びとって次へ次へと繋がっていく。
さんま通信を見なければ、おsushi の誘惑も起きず、電話にも気づかず、静かに家で過ごしていたかもしれないのだ。
アインシュタインも言ってた。
人生には二つの生き方があるって。ひとつは奇跡などまるで存在しないと信じる生き方、もうひとつは、奇跡を信じて体験する生き方。
私は断然アインシュタイン派なのである。
さて「奇跡」は続く。
未来へと。