湯豆腐とおすましの蟹味噌の柚子醤和え

湯豆腐とお野菜のやさしいお皿

お皿はお湯を入れて少し温めておきます。
出汁でことこと湯豆腐を作ります。
その間に、蟹味噌と蟹のほぐし身(缶詰)に味噌、みりん、醤、柚子果汁、さっと湯がいたチャードを合わせた柚子醤和えをつくり、お皿の用意。
湯豆腐をそっと真ん中において、柚子醤和えをのっけ、そのまわりに、サラダ用の豆苗をおきます。
出汁をまわしかけて、できあがり。
黒七味と擂り胡麻、手でちぎった大葉をかけました。


食欲って、人によっては元気のバロメーターのよう。もちろん、食欲のない時に無理して食べる必要はないから、私もお腹がすいてなければ無理して食べたりしないことにしています。食べるときは、お腹がすいていて、わーいと嬉しい気持ちで頂く、これが自分の場合の元気の源。

それが、この数日、時間がぽっとあくと、浮かんできてしまう、つい最近、あの世に旅立たれた魂の生きていたときの姿、笑顔、交わした言葉など。そうするとねぇ。
食べることなんてどうでもよくなってしまう。

心の感じる喪失感というのは、飢餓感と似た危険信号で、でも、身体的な飢餓感と違って埋めることがむつかしい。食べて満腹になるということは不可能な心のことだから。この心の飢餓感の糧になるのは、ひたすら’愛情’のような感覚的なものに違いなくて、それも時間を要します。今、この’心の喪失感’の方が絶対的に強くて補充が必要な具合だから、その帳尻を合わせるように、食べる、ということがどうでもよくなってしまうのかな。

ところが、毎日、信じられないタイミングで訪れてくださるクライアントさん方との時間から、驚くほど元気や力を頂いて、感謝することひっきりなしで、仕事先でも、思いがけず、心のこもった賄いを頂いたり、そうして、少しづつ元気が戻っていって、それに、食の記録はコトリさんへのママが元気でやっている、そんなラブレターのようなものでもありますから。

一皿だけ、用意することにしました。

とりあえず、お豆腐と、そろそろ使い切ったほうがいい開けた缶詰に、お野菜など。そして、できあがった、あったかいお皿でした。

一口食べたら、あれ、美味しい。
もう一口食べたら、’美味しい’がもっと大きくなった。
お豆腐を半分食べ終わったら、ごはんとお味噌汁が食べたくなりました。


湯豆腐の茹で汁に数日前の焼き魚(アラ)を入れて、お味噌汁を作って、ごはんを温めて、塩昆布をのっけました。

のこりものだった、木耳と醤豚の卵焼き、カリフラワーの甘酢漬けを足して、もう一度ごはんの仕切り直し。


食べ終わった頃には、お腹も心もなんだかほっとしていて、あぁ、こうして一皿を用意してよかったと、つくづく感謝しましたよ。