感謝の食卓と 'ひとつだけ'

昨夜、びっくりするようなことがあって、朝、まだ夢を見ているのかと思って、目をごしごしこすった。夢ではなくて、現実に目の前にあった、目尻のさがった小さな小さなスマイルマークを見つめながら、”ありがとう”と繰り返し心の中で呟いた。感謝の食卓の日のはじまりだった。

雑穀米と豚汁
赤魚と蕪とリークの煮付け
卵豆腐の昆布と鰹の山葵風味あんかけ
切り干し大根と出汁昆布の酢の物

炊きたてごはんに、ちぎった大葉、わさび菜の醤油漬けとキュウリの和えたの、すっかり味がしみこんだ熱々の豚汁に柚子七味
(豚汁の具は、豚バラ、蕪、人参、じゃがいも、リーク、薄揚げ、こんにゃくのオランダ煮を細かく切ったもの)

豚汁は本当に美味しい。一昨日作って、昨日は1日冷蔵庫の中で、今日で三日目で温め直したら、お野菜は柔らかく、それでいて味もよく染み込んでいて、お汁の味全体がよりまとまっていた。これだったら、回復食にもよいのではないか。食べたいけれど、まだ胃腸をおやすみさせたい場合は、お肉やこんにゃくなど消化に時間がかかるものをよけたらいい。元気な人も胃腸の弱っている人も共に満足できる具だくさん汁だと再確認。

おかずは作り置きを少しアレンジ:
*卵豆腐の昆布と鰹の山葵風味のあんかけ
つくりおき卵豆腐(茶碗蒸し)豚汁のスープお魚煮付けのお汁を足して、山葵を加えた即席あん。
豚汁を作ったときの出がらしの昆布(千切りに)と鰹を醤でざっくり和えたもの、をトッピングに。青梗菜は豚汁を温めているときに一緒にお汁に入れて加熱したものをとりだして。擂り胡麻かけて、できあがり。

*赤魚(Red Sapper)と蕪とリークの煮付け 温め直して、春菊を一緒に添えた。







こうやって食事の支度をするずっと前に、アイスランドのポストクラシカル音楽家ヨーハン・ヨハンソンの訃報を知った。最近では教授の最新作'Async'のリミックス盤にも参加していた。それは美しい曲を作るアーティストだった。同じくアイスランドのポストクラシカルを代表するオーラブルも彼の訃報に対して追悼の意をこめたポストをあげていた。帰らぬ人となってしまった彼が残していった作品を静かに聴いた。何もしないで、敬意を込めて、ただ、静かに、聴いた。涙がでるほど美しかった。

それから、しばらく音楽をとめて、静寂の早朝、かきものをした。

ずいぶん、陽が高くなった頃、ごはんを炊くことを思い出して、腰をあげた。

ニュースをつけて、世界の様子を聴きながら、食材をとりだし、お椀をだし、ぬか床の様子を見、野菜を刻み、スープを温めて、日常がはじまった。

ふと、’perspective’が聴きたくなった。頭の中でながれはじめたその懐かしい曲を、現実に聴きながら、食事ができあがり、手を合わせて、いただきます、をした。



今日も美味しく、食事ができることに感謝。

朝日がのぼり、空が青いことに感謝。

昨夜のニコニコマークに感謝。

このところ、訃報が続き、その度心は痛んだよ。
本当に痛んだよ。
それでも魂は繋がっていくと思えて、世の中は、良いことばかりではないが、それでもこの繋がりが救済、日々を暮らしていくことが糧となるような、そんな気がして。

窓をあけて、空気を入れ替え、歯磨きをして、髪をとき、支度をして、仕事着に着替えて、香りを焚いて、今日という一日を又迎える。

もう今は亡き人も、歌を聞くと、まるで隣にいるように、近く、親しく、時を超えて、蘇ってくるようだ。

’にっこりスマイル’マークで、はじまった一日、にっこりスマイルマークで、夕暮れを迎える。

’にっこりスマイルマーク’は私の宝物となった。

ほんとに、ほんとに、ありがとうございました。感謝。

これ聞くと浮かぶ、もうひとつの思い出