冷製しゃぶしゃぶとジャズメンパパの思い出

冷やししゃぶしゃぶの思い出

千切り野菜と一緒にふんわりとお皿に集めて、七味醤油につけて食べる
亡き父の大好物だったと母から聞いていて、私も特別な想いをもって食べる
大好きな冷やししゃぶしゃぶ

ママのお父さん(君のおじいちゃん)の話だ。彼は地元の老舗ジャズクラブ‘ラテンクォーター’でバンド演奏するのを生業とする夜のお仕事だったので、私たち子供が寝静まった頃に帰って来て、朝は寝てるから起こしてはいけないと言われてた。小学生のママが夕方4時前に家に帰ったら、クラブへの演奏前のお父さんにニアミスで会う事があって、覚えている事といったら、そうだな〜、お前、学校はどうなんだい?そろそろ好きな子はできたかい?とか、(学業に関しては関心ゼロじゃったね〜。爆)お父さんなんだけど、友達のお父さんたちとは随分ちがっているような感じがしたな。お父さんが生きている世界は想像がつかなかった。


me and your grandpa in 60's  he's only 28 in here:)
パパ(君の爺ちゃん)若干28歳

ママがうまれて一年経ち、浩ちゃんが生まれた、パパ29歳。かっこいいね:)

それから、9年後に爺ちゃんは不慮の交通事故であの世に行ってしまった。
まだ38だった。若いなあ、若すぎるお別れだった。。。

生前のパパ手書きの楽譜 うちに2冊分残ってる

母が亡くなって実家を処分した時にでてきた、父の子供の頃からの勉強ノート
中学校3年生、15歳の時、波長についての記録

独学でトランペットを習得して、音楽家になったパパ。凝り性だったことがノートにも表れている気がする。ママのお爺ちゃん(パパのお父さん/your great grandpa)も又、職人気質な人で、戦後、木材をかきあつめて家を建て、傘張りの職人になって和傘を売っていたそうだ。それが釣りが好きな爺ちゃんで、あんまり好きなんで、傘張りをやめて釣具屋をはじめちゃった。それが、うちが釣具屋になった所以だったんだよ。
そんな私たち親子は、極めることで得る楽しさについてを、爺ちゃん、またそのひい爺ちゃんから引き継いでいるのかもしれないねぇ。xoxox

PS;そういえば、「どんぐり音楽会」っていう地元の歌合戦番組が毎週日曜の朝にあって、一時期、パパがバイトでそのバックバンドで演奏してた。それは日曜朝の家族のお楽しみだったね。(しかし、パパが一緒にテレビを見た記憶はないな。朝だったから寝てたのかな?)いつだったか、ゲストにアグネス・チャンが来るから、サインもらってきてやろうって、言われて、喜んでた記憶があるな。アグネスチャンは当時「ひなげしの花」っていう歌で人気歌手だったのね。ママも好きだったんだよね。(これだよ↓時代を感じるなぁ)
しかし、サインどうなったんだろう?
もらってきたのかなぁ、、