ヨークってどんな処なのってコトリさんに聞いてみると、
う〜ん
つまり、イギリスの歴史の中でね〜、
う〜ん
つまり、イギリスの歴史の中でね〜、
北欧ヴァイキングが拠点にしてた街さ〜、
と言うんだよ。
調べると、ヨークは”古い歴史の街「指輪物語ローマ皇帝の骨壷」大聖堂と城の街”とあった。
元々はブリガンテス、パリジと呼ばれる種族の集落が平和に暮らしていた所に、ローマ軍が襲来して、北の戦基地としてここに砦を築いた。彼らはこの地を「エポラークム(Eboracum)」と呼び、西暦71年、大規模な石造りの軍事要塞を建てた。当時なんと6000人!の兵士が暮らしていたのだそうだ。
122年には、ヨークの北でハドリアヌスの長城(城壁)の建設が始まった。その高さ6m以上、長さにして約73マイル(約117km)、それから10年、約60箇所の監視所と約20箇所の砦を備えて、ようやくヨークの城壁は完成した。)この一部がヨークの街には今も残っていて、駅を出るといきなり目の前に広がっている。
なんと、およそ1800年以上前に人々が石を積み上げて作った城壁の一部なんだ!!!
207年には当時のローマ皇帝セヴェラスがスコットランド征服のためにこの地にやってきて、命を落としている。死期を悟ったセヴェラスが用意されていた自分の骨壷を前に、ローマ帝国の威力の拡大を予言したと言ういい伝えがある。
その後のローマ帝国が支配していた「エポラークム」(ヨーク)は戦場ではなく、平和で繁栄した時代を築いた。(ヨークにも平和な時代があったんだね、、、!)
それがおよそ160年後の367年、ハドリアヌスの長城の砦で守備隊の反乱が起きた。その隙を格好のチャンスにしたブリタニア北部(今のスコットランド)のケルト系ピクト人(ピクトと言うのは古代ローマの言語で’刺青をした人々’と言う意味なのだそう。ケルトの刺青がバリバリ入っていたのだろうか?)は南に攻め入る城壁を突破して、エポラークムに侵入してローマ軍との激しい戦が始まる。が、この頃、ローマはより帝国を拡大するために、有能な指揮官が次々とヨーロッパ大陸の戦線へと移動になり、エポラークムでの彼らの戦力は縮小され、撤退を余儀せざるをえなくなった。410年にはローマがイギリスを放棄する事が決定、それなのに、撤退しないでヨークに残り、自衛にあたったヨーク在住ローマ人、又、ローマ化したケルト系ブリトン人、どんな事情で、その限りなく勝つ見込みのない戦に挑んだのだろう。戦とはそういうものだけど、あまりにも切ない。
その後、ゲルマン族の侵入で、ローマ軍は撤退した。そしてエポラークムはアングル人によって「エオフォルウィック(Eoforwic)」と改名された。それから9世紀末まで、この土地をめぐっての戦が繰り返され、次々と支配者が入れ替わる戦場の歴史を刻んだんだ。
866年、デンマークからヴァイキングが大群でやってきて、翌年「エオフォルウィック」を占領し、この街を「ヨルヴィーク(Jorvic)」と改名した。
以降、北欧へ広がる貿易航路の一部としてここで生活していたわけだ。
(↓Jorvik vikingイメージ)
えぇ〜っ、こんな人たちが住んでいたの〜?!
88年後の954年、アングロサクソン人がヴァイキングを打ち負かして、ヨークは再びイギリスに戻った。
1066年、フランスのノルマンディー公ウィリアムがヘイスティングスの戦に勝って、イングランドの王位についた。67年にはヨークも納め、この地に二つのお城を築いた。そのお城の一つと街を取り囲むように城壁が作られて、今も、ヨークはこの城壁に囲まれた中世の佇まいを幾つかそのままに残している。(ちなみにノルマンディ公とモン・サン・ミッシェル修道院は深い繋がりがある)その2年後の1069年、ウィリアムの反体制派によって、ヨークの街は大火事になり、その時にヨーク大聖堂も焼失したのだそうだ。今は再生されているけど、250年かけて作られた壮大なゴシック大聖堂らしい。
*参考資料;ヨーロッパの歴史風景中世編
すごいなあ。猛々しい歴史だ。少し時計を巻き戻したような佇まいのこの小さな街に、そんな壮絶な歴史があるだなんて!
で、当時の香りまで再現されたヴァイキングの博物館もあるんだって?!
それが、2015年の12月の洪水浸水で現在は休館中なのだそうだ、残念。
一年に一度、ヴィキングの仮装をした人々が練り歩くお祭りもあるのだそうだ。
行きたい!
旧市街の中、古い歴史の佇まいそのままのシャンブルス Shambles
すごく小さい通りなのだけど
まるでお菓子の国みたいな、建築模様だ。
ヨーク・ミンスター(大聖堂)
ステンドグラス含め、全てのディテールがめちゃくちゃ細かい
同じ人が作ったと思えない程、細部にわたって細やかな細工
地下の一角
’高さ’を感じる空間
天と繋がっている、という事なのかな。
ここは、ローマンが構えた巨大な軍隊の砦であったって、後から知った。
その砦の上に教会が建てられていて。鎮魂なのだろうか。
これまでの歴史を知ったら、そんな事も考えてみたりして、鳥肌が立ったんだよ。
地下の聖堂では、ママには真ん中の方が大仏さまにも見えて、あれ、ここはクリスチャンの場所のはずなのに、あれ、どういう事やろうと、思わず口にしたら、コトリさんの視線で制されたけれど、神様とかHigher selfというものには、国ごとの形があるけれど、やはり、同じなのではないか、ということを感じて、手をあわせたくなってしまった。
そして、ここは、歴代のローマン軍隊の秀れた戦士たちが、次はどこへ遠征に行くのかを告げられた場所。なんとも言えない気持ちになる。
命を賭けて使命を委ねる、そんな運命が告げられた場所に、自分が立っている。
現世の世界に、戻るように、階段を上がり
パイプオルガンの壁の前でまた立ちすくんだ。
また行こう