コトリさんへ
『火 Hee 上映会』
この間、電話でも話したけれど、London East Asia Film Festivalの一環で「火 Hee」のロンドン上映があった。主演、監督の桃井かおりさんは、昭和の’アンニュイ’で’アウトロー’で’アバンギャルド’で’それでいて’人間臭くて’’粋な’’カッコイイ人’を代表する圧倒的な存在感の女優さんで、とても数行であらわすことなんてできない俳優さんだ。
実は、映画「火 Hee」の事は、ざっとパンフレットに書いてあった紹介文と予告編だけ拝見した程度の理解で、当日会場に行った。原作の中村文則さんの小説の事も知らなかったし、予告を見た時点で、何を期待していったらいいのか、正直、動揺があったのは、なんだかそれがヘビーなマテリアルのようだったから。それから、桃井かおりさんがここで投げてる一石は、今自分が取り組んでいる事にとっても凄く重要な事を含んでいるのかもしれないって。それを見る勇気があるかどうか、ちょっと自信がなくてあえて調べなかった。
でも、ママにとって、あの’桃井かおり’さんが舞台挨拶にもいらっしゃるって
あの’桃井かおり’の本物に会えるだなんて、
もしかしたら、一生に一度のチャンスかもしれないって
そんな特別な気持ちがあった。
それから、ちょうど、今まとめている、フラワーエッセンスの課題で、書きたい事が、人の持って生まれた本質と、環境が年月をかけてdistortしていく人の性の事があって、’生きる’という日常の、闇と光の事を、ずっと考えていて、それを、どんな文章にまとめようかと考えていたところだったから。’私、生きてても、いいのかな’っていう、台詞は、そこに直球で飛んできた感じだった。わかるかな、コトリさん、そんな風にママは何かとてもモヤモヤした気持ちで、その謎解きをしにいくような気持ちで、また、桃井かおり、というママ達にとってとてつもない存在の女性をこの目で確認するような気持ちで、映画館に向かったんだ。
見終わった後、凄く可愛らしくて素敵なリアル’桃井かおり’さんが出てきて、観客とのQ&Aがあった。あの独特のトークが聞けて、そしてママは、桃井かおりさんの明るさに釘付けになった。
それはたくさんの在英組の桃井かおりさんファンが集まった場所だし、そこに混じって、感激をお伝えする事もありだったけれど、ママは、映画の衝撃があって、それはまるで、ハンマーで殴られたような感じの、それで目の前の桃井かおりさんに明るくご挨拶したい、というより、どうしていいかわからなくなってしまって、ふらふらとそのまま、会場を出てしまった。静寂と騒音、彼女の口から溢れ出す言葉とその対極に仕草が語るもの、孤独と人が群れる、繋がりを求める真意、善と悪、正気と狂気、polarityだ。「’カワイイ’ものって時に’気持ち悪い’のよ」って桃井かおりさんが後で答えてらしたけど、映画は’ド’がつく程、その対比が濃くて、だから、とんでもないものを観てしまった、ような気持ちになったんだ。桃井かおりさんの台詞がカラダの中にはいっていって「火」のメッセージがドクドク波打ち始めたような、一体何者なんだ、って、ていうか、桃井さん以外にあれを演じる事は不可能でしょう。すっごいな、、。なんか、フレームが広がっていくんだ。大きく胸の中に溜まった息を吐き出したくなった。それが一昨日の上映会で起きたことだった。
絶望と希望とSue
例のフラワーエッセンスの勉強で、ママがこの数ヶ月でようやくたどり着いたセオリーは、人生が闇に包まれたと感じた時こそ、抱えてる問題の対極の気づきが用意されていて、これまでに見たことのない夜明けが待っているんだって事だった。バッチ博士が亡くなる1年前にマスタードの黄色の花畑を見つけた時、それが躁鬱で絶望的な不安から得られる対極の明るさ、力強さだと気づいた時、その時の博士の目線に繋がってみたら、ママは涙が出そうに感動した。その後、ママは人生に起きるnegativeな事象はその人にとっての'お題目'でpositiveはそこから得る'気づきなのだと、ようやく意味がわかったって、先生に話したら、<そうね、そうやって’気づく’事ができたら人生はもっと良くなるけれど、残念な事に’気づく’事のないまま終わってしまう人生もある>と言ったんだ。その言葉がたくさんの人の事思い出させたし、この映画を観た後もまた蘇ってきていた。
「火」という映画が出来上がる迄のこと、少し調べたら、私の中のモヤモヤももう少しクリアになるかもしれない。そんな事考えながら、電車の中で、扉のグラスに映る自分の影を見つめながら、ママはSueという女性の事を思い出した。
あのシューリアルな体験をした4日間の時に出会ったSueはその当時、50代か60代、恐らくドラッグ中毒が原因で入院していた。(薬漬けだった人は年齢不詳になる事が多いから、もしかしたらもう少し若かったのかもしれない)金髪に背が高くてグラマラスで真っ赤な口紅やピンヒールが似合っただろう、若い頃はさぞかし綺麗だっただろう容姿の女性で、売春婦として街角にずっと立ってきた。ママは誰から彼女の素性を聞いたのか思い出せないけど、入院患者やお見舞いに来た人、ボランティアの人たちがお茶するカンティーンがあって、そこで話されてる事を耳にして記憶したんだろう。Sueに宗教がらみのボランティアが面会に来た日の事だった。ママの座っている後ろの席で、彼らはSueが早く退院できるよう、励ますのに'home sweet home'について、何度も繰り返し話した。物静かなSueは余り言葉を返さないで、でも真剣に彼らの話を聞いていたようだった。彼らが帰って一人になったSueは、急に”うちに帰りたい”とupsetしはじめて、そのうち大声を出し、飛んできたナースに暴れないように、腕を取り押さえられて、そしたら、大柄なSueがまるで小さな駄々っ子みたいになって、ますます身体中で’帰りたい’と泣いて首を振って訴えた。二人目のナースがきて、やや乱暴に、羽交い締めにして、「薬を」って言って、Sueを廊下に引っ張り出した時、ママはいても立ってもいられなくなった。だって、にわかボランティアがあんな事を彼女に焚きつけたから、こうなっちゃったんでしょう。彼女をそんなに乱暴に扱わないでって、ちゃんと話を聞いてあげて、って、それで、間に飛んではいったら、バカ〜ンと一発拳が飛んできて殴られてママは廊下に吹っ飛んだ。殴ったのは、正気を失ったSueだった。呆気に取られて尻餅ついてるママにナース達は一瞥して、だから余計な事をするんじゃないわよ、と言われた気持ちになった。誰も大丈夫かなんて、駆け寄って来なかった。ママは冷たい廊下に尻餅をついたまま、Sueが治療室へ引っ張り込まれるのを無言で眺めていた。
本当はSueに帰る家などなかったのかもしれない。
そこには、帰ったら、また悪い仲間に引き戻されるから退院したくない、と自傷行為がやめられない若い子もいた。本人にはどうしようない’環境’の不幸せについて、環境が引き起こす心の病について、ママは壮絶なケースと時を共にした。
Sueのことを強烈に覚えているのは、殴られたからだけじゃなくて、その数年後、バス停で彼女を見かけたからだ。ちゃんと普通の生活を送っている人のように見えた。私のことなんてもちろん覚えているはずないが、その横顔は品を含んで平穏で少し笑っているようにも見えた。
彼女がまだちゃんと生きていた。あの施設を出て、家に帰ったんだ、って、よかった、って、ママはそのとき想って、彼女の後ろ姿をそっと心で見送った。奇跡のタイミングで遭遇したSueはサバイバーだと思った。そして、ママもサバイバーだった。だって、こうやって、今もちゃんと生きている。’生きる’事は普通のことのようだけど、奇跡に生かされてきた命もある。その事に気づいた時、ママは数々起きた奇跡に対して感謝の気持ちでいっぱいになる。
映画「火」にまつわるエピローグ
家に帰ってから、「火」にまつわるエピローグが知りたくて、桃井かおりさんが近年出演されてた動画を一挙に見直した。
リンク貼れないけど、ここで桃井かおりさんが語っている事、素晴らしくて、見て欲しい。
⭐︎映画『火 Hee』公開記念・特別トーク映像 桃井かおり×中村文則×又吉直樹
ゴロウ・デラックス 中村文則、桃井かおり
桃井かおりさんの近年のトークも聞きたくて、徹子の部屋なんかも見た。
それでようやく見えてきたものがあったよ。原作者が原作に込められたもの、桃井かおりさんが映画にしようと決めた経緯、原作者も唸る程、桃井かおりさんが創り出した限りなくアドリブの想像を超えた世界の事。痛烈に、もう一度、映画を見直したくなった。
上映会が一夜限りだったのはとても残念だ。
そして、今日、桃井かおりさんのQ&Aの日がきた。ママは、どんなお話が聞けるのだろうとそれはワクワクして出かけたんだよ。
Speaking Out; Actor-Director Talk Kaori Momoi
この二日間、ママはすっかり、桃井かおりさんワールドに引き込まれている。
桃井さんの「火」という新手が予想を超えた作品で、調べれば調べるほど、その予想を切り裂いてその向こうに広がっていったからだ。目の前でフツフツと始まった「火」は終盤に燃え上がって、観終わった後、さらにメラメラ燃えてて、気がついたら倍以上の存在の炎になってた。まるでモンスターのようだ。
梓は桃井かおりで桃井かおりが梓で、普通の生活が映画の制作現場で現場が桃井かおりさんの日常で、これだけ対極のエレメンツを散りばめてるのに境界線がない。現実と空想の世界が交差しているパラレルワールドのような作品だ。
また、桃井かおりさんは監督として一つのストーリーに二つの伏線を置きたいのだと、話されていた。その一つに、エレベーターのシーンがあっただなんて、まさか’妄想’という別のパラレルワールドもあっただなんて。
桃井かおりさんが自宅の窓辺から時々見かけたという年配の売春婦の事や、台詞はほぼアドリブで展開していって、撮り直し無しのオールワンテイクであった事や、今の日本で多発してきている犯罪のその犯罪を起こす人の深層心理の変化への危機感や、そして、俳優として監督にチャレンジしつづけていきたい、それを対自分、という、これ理屈じゃ到底説明できない事を思いっきりの’桃井かおりワールド’でやってのけてしまった役者としての凄さ。監督としての桃井さんは’伝えたい事’があるから映画をつくる、そうじゃなきゃクリエイティブになれないって。他の監督の作風と比較したり、〜風の作品を創る、という立ち位置では、オリジナルな世界が作れない、そんなお話しされていたっけ。それも、凄く、よくわかる。桃井さんの、創りたいから創る、って根源の根源で、とても潔くて、力強い。桃井さんの感性の凄さ、底力というか。とてもママの語彙力では表現できない。とにかく’凄い’人だとしか。凄い人。
いろんなお話をたくさん聴きながら、あ〜やっぱり、もしかしたら、私が、桃井かおりさんにお会いできて、お話できるだなんて、once in a millionのチャンスだなって。この日会場にはたくさんのファンの方がいらして、ディスカッションの後、サインや記念撮影を求めて桃井さんの前に長蛇の列が並んだ。
こういうの苦手で、いつもなら遠くから、パチリと写真を撮ってその場を去りたいところだけど、これはママの人生で最初で最後のラッキーな出来事かもしれない、桃井さんに伝えたい、桃井さんと握手したい。ママがいつもお世話になった人達とお別れにする最後の握手のように、桃井さんに感謝の気持ちを渡したいような。
それで、超勇気を振り絞ってママは並びました。
待ってる間にドキドキして、手に汗握りそうで、でも、一生に一度や!って心の中で繰り返して、この幸運な瞬間を、体験した。(本当に肝っ玉が小さい)
憧れの桃井かおりさんに声小さいながらも大好きを伝える事ができたのと、桃井かおりさんに握手してもらえるかお願いしたら、いいですよってちゃんと目を見て笑って、右手を差しだしてくれた事。
ママはめっちゃ嬉しくて、両手を添えさせてもらった
「うれしいぃぃ〜〜〜」ってこの口が言った。:)
本物の桃井かおりさん、な〜んて素敵な方なのだろう。
もう胸いっぱいで、ちょっと宙に浮かんでたよね。:)そのままふわふわと会場を出て、それから、じわじわ、どんどんと感動が押し寄せてきて、帰り道、ぶわ〜っと涙目になった。
桃井さんの華奢で美しい手の感覚から、桃井さんのスピリッツに一瞬触れたような感覚で、その感覚は、ママにとって一生の宝物になった。
どうしてか、わからないけど、ママはこの歌が聴きたくなった。
桃井かおりさんが投げた一石が、ママの世界にさざ波をたてて、広がっている。
素敵な時間をどうもありがとうございました ❤︎