民藝館と湯町窯のエッグベーカーとの再会

柳宗悦氏と民藝館のつづき

松江市玉湯町の玉蔵温泉駅からすぐの「湯町窯」。

元々茶器を中心に焼き物が発展してきた歴史がある町なのだそうだが、大正11年に開窯された「湯町窯」では、当時、中心に作られていたのが火鉢。

知らなかった。

昭和に入って、民藝運動の息吹きがここへも。この湯町窯の焼き物に魅入られて、柳宗悦、バーナード・リーチ、河合寛次郎が制作指導に関わるようになり、その後、洋食器がさかんに作られるようになったのだそうだ。

湯町窯のエッグ・ベイカーもそのひとつで、デザインはバーナード・リーチの指導によるもの。この湯町窯特有の黄色の釉薬(ゆうやく/うわぐすり)がイギリスのガレナ釉に似ている事からイギリス出身の彼が特に興味を持ったのだそう。

<詳細はこちらを参照→☆民藝の器を生み出す、湯町窯



日本民藝館のミュージアムショップでこのエッグベーカーに出逢ったときの驚きといったら。

実はこの陶器を30年近くずっと探していたのです。

それは30年前に我が家にやってきました。
なぜか、これはポルトガルの卵焼き器だと思っていた自分。
あちらの方に旅行に行く方があれば、必ず、こんなものがあったら是非買って来てほしいとお願いしながら、出逢う事がなかった器。これで焼く卵が絶品で、ひとつで家族順番に使い回しして焼いたりとか、していたのですよ。

上の画像にあるエッグベーカーのうち、上の気持ち小さめのものが我が家で30年使ってきた、only oneのエッグベーカー。下のお皿付きなのが、今回、ショップで見つけたもの。

先日、陶芸家の友人に、土鍋のように火に直接かける事ができる焼き物になる粘土は日本特有のものなのでヨーロッパで手に入れるのはむずかしい、と聞き、はて、この卵焼き器は直接火にかけるのだけど、ポルトガルにもそんな粘土があるのだろうかと、微かに脳裏をよぎったのが、ようやく明確になりました。

そしてこの玉子焼きのことを’ポルトガルの石焼卵’と呼んでいたのですよ:)

バターを塗った器を直火にかけて、バターが溶けてきた頃合いで卵を割り入れて
一気に外側から焼いていき まだ 半熟位の状態で バターとお醤油をたらして
あとは火から外し、蓋をして器の余熱だけで焼き上げるのです。
上手い具合に白身の外側はパリッと焼けていて黄味はとろりとしたところを
混ぜながらいただくのです (石焼ビビンバの感じに似ています)

私がこの器をずっと探していた事は、娘のことりちゃんも知っていたので
彼女も本当にビックリしていましたね:)
実は日本のものだったなんて!

それから、この日本民藝館のショップでは
お料理上手な友人宅で出逢ったお皿とお椀にも出逢いました


大分の小鹿田焼(おんたやき)です。

伝統技法の「飛び鉋」(とびかんな)、「刷毛目」、「櫛描き」、「流し掛け」、「打掛け」とか、どれもしっくりと美しいです。

民藝館で売られているという事はやはり民藝活動の中で柳宗悦氏が訪れ、バーナード・リーチがこの焼き物を広める為に深く関わった時代があったという経緯ですが、焼き物に惹かれてこの土地を訪れた彼らは、焼き物だけでなく、この小鹿田焼の窯元である、大分県日田市の皿山という村の風景に魅せられたそうです。

<集落の中を川が流れ、その川の水を利用して陶土を砕く「唐臼」(からうす)が動かされ、その唐臼が陶土を挽く音が聞こえてくる>

そんな文章を拝見しながら、自分も訪れてみたいと想い馳せます:)