ささみと明太子の海苔天弁当
4月5日 毎週水曜日はサロン勤務で、お弁当をこさえます。
ロンドンにも美味しいカフェやデリはいっぱいあって、たまには、お弁当を作る時間を無しにして、どこかで美味しい朝ごはんを食べるとか、または、take away買ったらいいのに、そうしたら、もっと時間も有効に使えるのに、と、思うけれども、何かしら、うちはいつもお惣菜が作ってあるし、どうも、私は自分の作るごはんが好きなんだと思います。
今日は、昨夜のごはんをお弁当箱に詰めただけながら。
あの見栄えがいまいちのささみと明太子の海苔天は、食べやすい大きさに切って、硬めに茹でたステムブロッコリーと、ジェムレタス、トマトスライス、下の方の隙間にアルファルファを敷き詰めて、アトランダムな盛りつけ。
オーソドックスな美しいお弁当の盛りつけに憧れるけれども、自分がどうやっても、やっぱりいつもの自分風でとなってしまう。これでok出しながら、毎回、どうやったらもっときれいに盛りつけられるのかなあと小さなチャレンジ/努力しながら。(自分がセラピーのブレンドや内容を創り込んでいく瞬間行程に似ているかも)
天汁は小さなジャムの瓶に。お弁当箱に入りきらなかった、副菜の和風サラダは小さいコンテナに。
ごはんに、お味噌汁。一口でもお汁があると、なんだか、すごくホッとするので、やっぱりつけちゃう。
マッサージセラピストだけれど、スピリチャル由来のワークが続いています。
選んだ香りの芳香成分の作用と、体全体の総体的な具合、足先の様子から、調整することでバランスが良くなるから、別に解説しなくてもいいと思うのだけれど、なんでそうなっちゃったのか、今の自分を理解するために、香りのメッセージや症状と心のストーリー説明した方が、その人に響くこともあったりして。
そういうことを確認したい方が、いらっしゃっているのかも。
私は霊能力者でも偉大なヒーラーでもないけれど、手を使うハンズオンセラピーと目に見えない部分のセラピーは共に確実にリエゾンしていると、経験を重ねれば重ねるほど、確信していて、自分の見解をどうお伝えするかというときに、香りに関しては直感的なレシーブながら、多くは掌からの情報をパズルのピースのように言語化してみたりして、話しているうちに、パズルが解けていくことがあったりして、不思議。
私一人の力じゃないね。
愛は循環する、と同じく、セラピーでも、一方通行はなくて、実は、見える世界、見えない世界、身体、精神、またはそれぞれに寄与する魂的存在との共同作業だと思う。
本当に純粋な愛の力を大切にしたくて、その人を思う御先祖様やその他から送られてきている無条件の愛に繋がって、それを掌からお届けしたいと思う。
尊い仕事を頂いたと思う。
一日の終わり。
今日も教授の楽曲を聴きながら。
いつもの、あたりまえの日々を過ごす、あたりまえのありがたさ。
音源が残せないけれども、2021年の音源、
Playing the Piano 12122020
「Perspective」
YMOのオリジナルバージョンも大好きながら、2022年、初のオンラインでの教授のピアノソロコンサートにて、この曲を演奏されたとき、号泣した。
今日も愛と感謝を込めて。
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